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八坂神社(やさかじんじゃ)は、茨城県土浦市真鍋にある神社。江戸時代は牛頭天王社と呼ばれていた。古くから「天王さま」として住民に親しまれてきた。旧社格は郷社。 == 概要 == 土浦市街の北部、新治台地の端部(真鍋台)に鎮座する。参道が面する通りを八坂神社に因んで「八坂通り」という。江戸時代は筑波街道といい、東にある土浦一高前交差点が旧水戸街道との分岐点(追分)だった。真鍋から筑波山へと至る街道であり、現在のつくば道もその一部である。八坂神社の旧址と伝わる大形も旧筑波街道沿いにある。旧水戸街道を桜川低地に向けて下る一方通行の坂は旧真鍋宿であり、この通りを真鍋宿通りという。付近には八坂神社のほか、鹿島神社、愛宕神社、赤山神社(赤山天神)、善應寺、真延寺といった神社仏閣が点在している。 江戸時代、土浦城の鎮守として、土浦藩藩主である土屋氏の篤い崇敬を受けた。例祭では土浦城中に神輿を繰り込み、神事を行なっていた。拝殿の屋根にある「三つ石」の家紋は土屋氏のものである。 古くは例祭で土浦城中に神輿を渡御するのは真鍋地区(真鍋村、殿里村、常名村、虫掛村)の役割であり、巡幸も行われていた〔。しかし明治元年(1868年)、八坂神社は土浦町の鎮守となり、氏子区域としては新川右岸の旧土浦市街が定められた。これにより、真鍋台に鎮座しているが、社地周辺には氏子区域を持たない神社となった。ちなみに、真鍋の鎮守は八坂神社より南東に位置する鹿島神社である。新川橋(旧土浦城北門の付近)が真鍋と旧市街の境界となっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「八坂神社 (土浦市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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